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  勇魚捕りとオラショの故郷 長崎県生月島


生月大橋
生月島と平戸市を結ぶ960mの美しい橋。3経間連続トラス型としては世界一(建設当時)の長さを誇ります。

     
 

塩俵の断崖(柱状節理)
玄海の潮に洗われ、雄大な亀の甲模様の奇岩群です。本島西海岸一帯に広がるダイナミックな天然の美は、西海路を代表する奇勝と言われています。

 

大碆鼻(おおばえ)断崖
100メートルあまりの断崖絶壁がそそりたち、眼前には視野いっぱいの水平線が広がる。芝草はゆるやかなスロープをなし、はまゆうの群生地を見ることができます。

     
 

生月大魚藍観音
生月大橋から見える大きくそびえるブロンズ像は日本一の大魚藍観音です。
・像高18m・基壇3m・重量約150t・建立昭和55年

 

山頭草原
青い空に緑の草原と大海原。たくさんの牛が放牧されています。

     
 

はまぐり洞門と長瀬八洞
生月島の南岸にある洞門で、玄海の荒波が造りだした玄武岩の洞穴が多数ならんでいます。海上からの眺めは最高で、夏の暑い盛りに吹き抜ける風は涼味満点です。

 

生月町博物館「島の館」
捕鯨の歴史や、かくれ切支丹の生活の様子などがよくわかる写真や捕鯨の道具、さかなの剥製館などたくさん展示してあります。

     
その他、捕鯨納屋場跡、拝野草原、方倉神社、だんじく様、ガスパル様クルスの丘公園、幸四郎の森サンパブロー様などがあります。
 
 
生月島

生月(いきつき)は、かつて勇魚組で栄え、また、隠れキリシタンの故郷の島でございます。今を去る四百年前、生月島は絢爛たるキリシタン文化が咲き誇っておりました。朝夕祈りに明け暮れる静かな島でございました。しかし禁教令が布告され、信仰は潜伏し、御神体は密かに納戸にまつり信仰を守り続けました。隠れ切支丹の始まりです。

江戸時代、玄海の冬の荒波の中、小舟に乗り込み、巨大な鯨に立ち向かう漁人達がおりました。漁船数二百隻、三千余名の活気溢れる捕鯨場や解体場がありました。当時の捕鯨法は突組と称し、舟十二隻を備え銛で鯨をついて毎年十数頭捕獲したといわれ、益富又左衛門は、享保十八年捕鯨網法を完成、広域に網代を設け年間二百頭を超えるものとなりました。現代は大型まき網漁業を生み、県下屈指の水産業の町として発展しています。


 
殉教遺跡
生月島は、隠れキリシタンのメッカとも言われ、永きにわたる冷厳苛酷な宗門弾圧に耐え抜き、守り続けてきた信仰の根強さは今もなお受け継がれています。
蒙った迫害や殉教悲話の数々が悲憤、恐怖、愛惜と交えて語りつがれ、数多くの遺跡が残されています。生月島と平戸島の中間に浮かぶ中江之島は、隠れキリシタン弾圧で多くのキリシタン達が処刑されました。
写真=無原罪の聖母ブラケット・16世紀中期の作
生月鯨太左衛門
いきつきけいたざえもんは、生月舘浦の出身で、古今東西比類のない巨漢力士。身の丈七尺五寸、重さ四拾伍貫目(身長約2m10cm、体重180kg)にして、当時の江戸相撲の人気を博しました。24歳で病没しましたが、その死を惜しんで「地獄で鬼があきれる」と死絵まで発行されたそうです。
 
 
 
 
撮影者 山下定利(山屋旅館)
撮影者 山下定利(山屋旅館)
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